依存症の回復プログラム「12ステップ」。
あまり聞き慣れない言葉だとは思います。
名前を知っていても何をやるのかまでは分からない、ある意味何故に包まれた12ステッププログラムについて基礎編と実践編の2回に分けて解説していきたいと思います。
12ステップとは?
12ステップはアルコホーリクス・アノニマスやナルコティクス・アノニマスなどの自助グループで採用されている依存症回復プログラムです。
心理療法ではありませんし、カウンセリングでもありません。
SMARRPのように欲求を和らげる行動を身につけていくのではありません。
12ステップの目的は「薬物が必要ない自分へと生まれ変わること」です。
私たちは過去傷つきアディクションを使い続ける中で、自然と心の中に恨みや恐れ、罪責感が降り積もっていきました。
この恨みや恐れといった感情が人間の心の一番深い部分にあるスピリチュアルな部分を覆い隠してしまったのが、本来の人間らしい豊かな人生を行きられなくなり目的を見失い死へと進んでいくのが私たち依存症者なのです。
12ステップではこのような恨みを恐れを紙に書き出して、信頼できる仲間(スポンサー)と神に対して分かち合います。
分かち合いの中で過去の失敗のパターンや自分自身が何に囚われているかが見えてくるので、今度はその失敗のパターンや囚われを引き起こす「性格上の欠点」を神に癒やしてもらいます。
そして新しく生まれ変わった心で、今まで恨んだり傷つけてきた人たちに謝罪をして人間関係の修復も行います。
これにより心の中を覆い尽くしていた恥や罪責感、虚しさといった感情が 「新しい自分」と「新しい健全な人間関係」に置き換わっていきます。
12ステップの最後は 「まだ苦しんでいる仲間に経験を伝えること」と「12ステップの原理を人生のあらゆる場面で実行すること」で締めくくられています。
私たちの回復は流れる清らかな川のようなもので、一箇所に水が溜まってしまうと泥沼のように汚くなってしまいます。
なので私たちのクリーンを維持するためにも、まだ依存症で苦しんでいる人たちのためにメッセージを運び続けるというは非常に重要です。
さて、次章からは12ステップを1つづつ分解して解説していきたいと思います。
ナルコティクス・アノニマスの12ステップ
- 私たちは、アディクションに対して無力であり、生きていくことがどうにもならなくなったことを認めた。
- 私たちは、自分より偉大な力が、私たちを正気に戻してくれると信じるようになった。
- 私たちは、私たちの意思といのちを、自分で理解している神(ハイヤーパワー) の配慮にゆだねる決心をした。
- 私たちは、探し求め、恐れることなく、モラルの棚卸表を作った。
- 私たちは、神に対し、自分自身に対し、もう一人の人間に対し、自分の誤りの正確な本質を認めた。
- 私たちは、これらの性格上の欠点をすべて取り除くことを、神にゆだねる心の準備が完全にできた。
- 私たちは、自分の短所を取り除いてください、と謙虚に神に求めた。
- 私たちは、私たちが傷つけたすべての人のリストを作り、そのすべての人たちに埋め合わせをする気持ちになった。
- 私たちは、その人たち、または他の人びとを傷つけないかぎり、機会あるたびに直接埋め合わせをした。
- 私たちは、自分の生き方の棚卸を実行し続け、誤ったときは直ちに認めた。
- 私たちは、自分で理解している神との意識的触れ合いを深めるために、私たちに向けられた神の意志を知り、それだけを行っていく力を、祈りと黙想によって求めた。
- これらのステップを経た結果、スピリチュアルに目覚め、この話をアディクトに 伝え、また自分のあらゆることに、この原理を実践するように努力した。
12ステップはその名の通り12個のプログラムに分かれていて1, 2, 3と順番に進んで行けなければなりません。
また自助グループにも足を運んで皆んなの話を聞き、「この人なら何でも話せる」という人を見つけておく必要があります。
できれば12ステップを最後まで完了していて人間的にも成長している人が好ましいです。
その人が今後回復を進めていく中で必要不可欠な12ステップを手渡してくれるスポンサーと呼ばれる存在になります。
ステップ1〜3ではまだ行動しない
ステップ1〜3は回復するためのマインドセットです。
これからステップ4-5やステップ6-7を進めるにあたって自分の意志の力を使わず自分なりに理解した神の導きに委ねるという意気込みです。
ステップ1: 無力を認める
- 私たちは、アディクションに対して無力であり、生きていくことがどうにもならなくなったことを認めた。
1つのステップは、自分がアディクションや人生そのものに対して無力であり、コントロールすることができないということを認めるステップです。
これを降伏と言い、対義語としては逃避があります。
「自分よりも酒を飲んでいるやつなんて沢山いるから問題ないさ」
「マリファナは合法の国もあるくらいだから使っても大丈夫さ」
これが逃避です。
逃避はその場こそ最初はやり過ごせるかもしれませんが、後々になり人生に様々な影響を及ぼします。
- 感情の抑圧
自分の気持ちを押さえつけ否定していると次第に感情は凍りついていきます。 本来であれば悲しまなくてはならないシーンや罪悪感を感じないといけないシーンでも無感動に陥ります。 自分の中にある悪い感情も良い感情も受け入れて初めて本当の自由が手に入るのです。 - エネルギーの浪費
逃避の副作用は思い煩いであり、四六時中頭を悩ませることになるでしょう。 人間らしい降伏な生活を送るのではなく、ただ痛みから抜け出すためにアディクションに逃げ続けて最終的にさらに悪い状態になるのです。 自助グループでは「今日だけクリーンでいられるように頑張る」という文化があり、聖書の「だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。マタイ 6:34」から引用がされている。
今、この瞬間にどうすれば幸福に生きられるかを考え、先のことは全て神様にお任せするという生き方なのだ。 - 成長の阻害
人は抱えている秘密の数だけ病んでいると言われています。 神はあなたを救い出して光の中を歩んでほしいと願っています。 しかしアディクションを使い続け逃避を続ける限り、光の届かない暗く長いトンネルの中を手探りで歩むことになるのです。 - 人間関係から孤立する
「このアディクションのことは誰にも言ってはいけない」とすると自ら愛する人や他人から離れていき孤立していきます。 「痛みなどない」と言い張っても心の痛みがなくなるわけではないのです。 - 痛みが長引く
逃避は心の傷口を化膿させるだけです。 虫歯が痛いからといって歯医者に行かず鎮痛剤を飲み続けていたら虫歯はさらに広がり悪い状態になります。 心の痛みと向き合うのには痛みが伴いますが、それは回復するために必要なプロセスなのです。
逃避という仮面を脱ぎ、周りに正直になることで癒しが始まります。 まず自分が自分の問題に対して何もできない無力な状態であると認めて、やっと次のステップに進めます。
ステップ2: 自分なりに理解した神が正気に戻してくれると信じる
ステップ1は一人で始めなくてはならないステップですが、ステップ2からは救い主である神の守りの中を歩むことになります。
日本人は「神」と聞くといかがわしいカルトのことを想像し拒否感を覚える人が少なくありません。
しかし依存症の回復に関してはこの「神」である「キリスト」なしには本当の自由を味わうことはできません。
神は愛情深く、私たちが幾度となく罪を犯しても愛し成長させてくださるお方です。
神の愛が忠実に現れている聖書箇所があります。

