
「覚醒剤がやめられない...」
「ブロンのODがとまらない...」
こういった薬物がやめられない依存症は甘えや意志からくるものではありません。
薬物をやめられないのは薬物依存症という脳の病気であり、同時に心の痛みや孤独、虚しさを避けようとする人間の本質的な欲求の誤った表現方法です。
今回はあまり語られることのない「依存症とは何か」という疑問について解説していきたいと思います。
依存症の定義
薬物依存症はアメリカ精神医学会が採用している診断基準のDSM-5-TRでは「物質使用障害」と呼ばれ以下のような定義づけがされています。
- コントロール障害
薬物を使うタイミングや量、頻度を自分の力でコントロールすることが難しい
薬物を入手したり使用したり、薬物使用の影響から抜け出すために多くの時間を費やす
「薬物を使いたい」という強い欲求を感じる- 社会的障害
薬物の使用によって社会的責任を果たす能力が損なわれる
重要な社会的・人間関係上の問題が生じているにも関わらず薬物の使用をやめることができない
薬物以外の趣味や活動に対する興味の低下- 危険な使用
身体的に危険を伴う薬物の使用
身体的・精神的な問題を引き起こしているにも関わらず薬物の使用をやめることができない。- 耐性
望ましい効果を得るための薬物の量が次第に増えていく- 離脱症状
薬物の効果が切れると心身に望ましくない症状が起こり、それを回避するために再び薬物を求めるようになる
またアメリカ依存医学会は以下のように依存症を定義しています。
依存症は、脳の回路、遺伝的要因、環境、そして個人の人生経験が複雑に絡み合って生じる治療可能な慢性疾患です。依存症の人は物質を使用したりある行動に没頭したりしますが、それらは強迫的なものとなり、有害な結果をもたらすにもかかわらずしばしば継続してしまいます。
このように依存症は遺伝や環境、ADHDや双極性障害などの併存疾患などの複数の要因が重なって起こる脳の慢性疾患であり、「甘え」や「意志の弱さ」、「悪い人間」ではありません。
しかし依存症は脳科学的な病だけではなくもう一つの側面を持ちます。
それは心の痛みを逃れようとする人間の本質であり、人生の意味や目的を見失った状態です。これは医学では語られることが少ない領域です。
Truth Lightでは依存症をこの生きづらさから逃れようとする病**という側面から深く掘り下げていきたいと思います
依存症の本質
人間は不快を避けて快を得ようとする生物です。
遠くの場所に時間をかけて行くのが面倒(不快)だからこそ、ここまで電車などの交通網が発達したり自家用車を普及するようになりました。
それと同じようにストレスや心の痛み、虚しさ、孤独といった不快な感情をできるだけ味合わないようにしたいと思うのは不思議ではありません。
昔の時代であれば快と言っても、苦労して食べ物を探したり、両家がお見合いしお互いの家族と合意した上で結婚したりと快を得るのにも苦労が伴いました。
しかし今ではコンビニに行けば美味しい食べ物が安価に売られていたり、オンラインで女性とデートを決めたり、違法な薬物ですら手に入る世の中になりました。
こういった快が簡単に手に入る世の中になったからこそ人間はその快に心の居場所を見出そうとするのです。
人間の脳には報酬系とよばれる脳回路があり、薬物などの依存対象を使用すると強くその回路が刺激され、不快な気持ちが和らぎ快を感じるようになります。
学校の勉強や仕事を頑張って得られる報酬は時間がかかる「遅延報酬」と言いますが、依存症の人の脳にはこの遅延報酬が予測がしづらく、短時間で報酬を得ることができる薬物などの「即時報酬」ばかりを求めてしまうようになります。
また依存症の人は心の傷やトラウマを抱えている人が多く、薬物がやめられないという失敗体験も重なりセルフイメージが極端に低くなりがちです。
こういったセルフイメージの低さが生きづらさにつながり日常的に大きなストレスを抱えている状態になります。
この状態で薬物などの短時間で快を得られる経験をすると、ほかの刺激には目がいかず薬物ばかりに目がいってしまいます。
健常な人であれば余暇活動や人に相談したりしてストレスや悩みを解消しようとしますが、依存症の人はそのストレス解消法がすべて薬物になっている状態なのです。
依存症に対する誤解
よくありがちな誤解として「依存症は意志が弱い」というものがありますが、回復の世界では依存症の人は意志が強いと言われています。
精神病院に入っても警察に捕まって刑務所に入っても、「薬物を使う」という選択を選び続けるのは普通の人間には中々できることではありません。
薬がなくなれば車で何時間かかろうが売人に会いに行き、薬物を買う金がなくなれば万引きをしても薬の金を調達しようとします。
依存症は決して意志が弱いわけではありません。むしろ強いのです。
また日本には「ダメ。ゼッタイ。」という標語があり、薬物を使用した人間は「廃人」「犯罪を犯す悪人」「社会不適合者」とみなされます。
「依存症」というワードこそ一般に知られるようにはなりましたが、そこが支援や病態理解につながるほどの温度感が高いものではなく、冷たい目を向けられることがほとんどです。
この根底にあるのは無関心と排他意識であり、薬物を止めて頑張ろうとしても社会ではその生きづらさや苦悩を理解してもらえないことがほとんどです。
医学的にも治療可能な慢性疾患と認められており、薬物依存症は適切な治療と支援を受けるとほとんどが回復していくことが可能な病です。
もちろん病気だからと言って薬物を使い続けていいというものではなく、回復していく責任というものが依存症にはあります。
しかし過度に自分を責めたり、過去のことに執着するのをやめて、今自分にできることだけ考えて自分だけは自分のことを愛してあげることが大切です。
依存症は「偽りの救い」に囚われること
初めて薬物を使ったときは不安や恐れ、自己否定感、鬱っぽさが消えて、元気がみなぎりまるでこれが自分のありのままの姿なのではないかとすら錯覚します。
しかし使用を重ねるうちに初めの心地よさは薄れていき、薬が切れたときの反動や離脱を逃れるためだけに薬物を使うようになります。
救いだったはずの薬物がいつの間にか支配者になっていたのです。
ここでようやく「薬をやめてみたい」と考え始める人が少なくありません。
しかし薬物をやめたいと思っても、その正しいやめ方を教えてくれる人や場所というのはなかなかありません。
断薬を誓ってみても、自己啓発の本を読んでみても、精神病院に入ってみても、また薬物をやりたいという渇望が襲ってきて薬物を使用してしまうことの繰り返しでした。
人間は自分自身の力では自分を癒すことも救うこともできません。
では本当の慰め・救いとはなんなのでしょうか?この依存症の問題や心の傷、虚しさに解決はあるのでしょうか?
聖書は依存症をどう照らすか
新約聖書の大部分を書いたパウロでさえこう言っています。
私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。
ローマ人への手紙 7:19
まさに薬物で失敗ばかり繰り返してきた私たちと同じで、やめたいのにやめられない。依存症というのはある意味人間の本質的なものとも言えます。
さらにキリスト教の聖典である聖書では依存症と思われる人物が大勢登場しています。
ノア
さて、ノアは農夫となり、ぶどうを栽培してぶどう酒を作るようになりました。
ある日、彼はぶどう酒に酔って前後不覚になり、裸のままテントの中で寝入ってしまいました。ローマ人への手紙 7章19節
アルコール依存症
しかもその姿を見て裸が見えないように服を被せてあげた息子のハムを呪った。
ダビデ
さて、ある日の夕暮、ダビデは床から起き出て、王の家の屋上を歩いていたが、屋上から、ひとりの女がからだを洗っているのを見た。その女は非常に美しかった。
そこでダビデは使者をつかわして、その女を連れてきた。女は彼の所にきて、彼はその女と寝た。(女は身の汚れを清めていたのである。)こうして女はその家に帰った。
女は妊娠したので、人をつかわしてダビデに告げて言った、「わたしは子をはらみました」。IIサムエル 11章2-5節
性依存症
しかもその女性は既婚者だと知ると公になるのが怖くて口封じに旦那さんを殺してしまった。
聖書は人間の弱さや過ちとそれに対する神の救済の繰り返しのストーリであり、人間は不完全で過ちを避けられない存在として書かれています。
人間は自分の力だけで人生を完全にコントロールすることはできません。
依存症の人は全てを取り仕切りたくなる病とも言われ、自分のコントロールの効かないことに対してコントロールしようとする傾向があります。
ですので依存症から回復するにはまず自分の力を手放さなければなりません。
依存症の回復プログラムである12ステップは聖書を短く12のステップにまとめたものです。
12ステップによって本当の救いであるキリストと出会い、それに従って歩む決心をすることで依存症から解放されていくのです。
回復はただ薬物をやめるだけではない
回復というのはただ薬物をやめるだけではありません。
もともと自分の生きづらさから逃れるために薬物を使っていたのですから、使うのをやめても生きづらさは残ります。
むしろ薬物で誤魔化せなくなった分だけ生きづらさが増えたように感じることもあります。
すると薬物を使っても使ってなくてもしんどい、といったことになりがちで、薬物を再び使ってしまう大きな要因となります。
薬物をやめて幸せな人生を本当に掴むためには、根本の生きづらさを取り除いていく必要があります。
心が傷つき、薬物を使い続けていく中で恨みや恐れ、罪悪感、恥などといった感情が心の中に溜まっていきます。
こういった感情が生きづらさの原因であり、この感情をまず手放さなくてはいけません。
12ステップではこの生きづらさを取り除くことに焦点を当てています。
恨みや恐れ、傷つけた人を紙に書き出し、それを信頼できる人と分かち合うのです。そして自分なりに理解した神にその生きづらさを取り除いてもらい、薬物が必要ない自分に生まれ変わるのです。
また依存症から回復していくには仲間の存在も欠かせません
回復の道のりでは自分の弱さと向き合わなければなりません。独りで孤独に戦うのではなく、同じような悩みを抱える仲間と一緒に助け合って歩んでいくことで愛されている感覚、認められている感覚、理解してくれている感覚といった自己肯定感を育んでいきます。
そして今度は自分が今苦しんでいる依存症の人に自分の経験を伝えていくことが大切です。
自分の依存症で苦しんだ体験とそこから回復したという経験は人に伝えていくなかで、そこから回復することができたという証しに変わります。
これらのステップを経た結果、スピリチュアルに目覚め、この話をアディクトに 伝え、また自分のあらゆることに、この原理を実践するように努力した。
12ステップ
参考文献
- アメリカ精神医学会. "Substance Use Screening, Risk Assessment, and Use Disorder Diagnosis in Adults Internet." 2022. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK565474/table/table-3/. Retrived by 2026-06-11.
- アメリカ依存症学会. "Definition of Addiction" 2019. https://www.asam.org/quality-care/definition-of-addiction. Retrived by 2026-06-11.

